僕が僕であるために…

精神障害を乗り越え新たな人生を歩む20代のブログ

誰も得をしないプライドは今すぐ捨てるべき

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26年生きてきて、初めて自分としっかりと向き合った僕のお話をしていこうと思います。

 

2年前に僕は精神的に潰れて、病院送りになったという記事を

このブログの初めの記事として投稿しています。

 

www.zero-note.com

 

そしてこの中でこうなった原因はパワハラにあると言っています

少なからずパワハラがあったことには間違いないと思います。

ですが、それが全てではないということをつい最近知りました。

 

自分を苦しめているのは、自分自身

自分をこういう状況にしていたのは、

・自分はこうではいけないという思い込み

・これはこうだという固定概念

・自分の持っていないモノへの憧れと強い嫉妬

・誰かに嫌われるてしまう恐怖・不安

 

大きくこれの4つが物心ついた頃から僕が持って育ってきた感情や根付いた思考です。

それが成長と共に手放せず、逆にそれを大きくしぎて

気づいたら自分の本来の気持ち・感情に蓋をして生きてきていました。

そして自分で自分が見えなくなり、周りにも迷惑をかけるくらいになっていました。

 

どうして、こうなったのかを自分なりに掘り下げて考えてみました。

 

僕はこれを物心がついた頃から持って育ってきたと思ったのは

おそらく家庭環境にあるんのではなのかと思いました。

 

一人っ子だったこともあり、小さい頃から親戚にも我が子のように可愛がられて育てらてきました。

いろいろなところへ連れて行ってもらったり、たくさんの物を買ったってもらったり。

正直、自分でも驚くほどの愛情を注がれて育てられたんだなと思いました。

 

ですが、その愛情を注がれていたことすら忘れ4つの感情を持つようになったのは

成長と共に、その愛情が重たいと感じる時期が自分にあったから。

 

つまりそれは、反抗期

 

中学・高校になると自立心が身についてくる頃でもあり、

自分はこうしたい、これやってみたいという明確なものが生まれてきます。

 

もちろん僕にもやってみたい、こうしたいということがたくさん生まれました。

ですが、何をするにも「反対」というものが返ってきました。

そして大人になった今でもまだ少しその「反対」というものがあります。

 

それは要らないだろ、そんなことしなくていい。などという言葉が

結果、何を言っても自分の気持ちや考えは聞いてもらえないんだ。

となり自分の中で強く染み付いてしまったんです。

自分の考えや、意見はなんの意味・価値がないという一種のトラウマになっているんです。

 

この頃から家族の顔色を伺う様になっていたと思います。

何かをする時、自分の気持ちが相手の考えと違ったらそこを書き換えて伝える。

 

つまり、自分の気持ちに嘘をついて相手に合わせる

自分を大切にするより相手の気持ちを優先する自分が生まれていきました。

 

自分の気持ちは誰も受け止めてくれないという思い込みから。

だけど誰かに認めてもらいたいという気持ちが生まれ、

自分の本当の気持ちを「認めてもらえる自分はこうだ!と思い込み」で包んで

見え隠れさせることで気づいて欲しいと思っていました。

認めてもらうためには嫌われてはいけない、嫌われる不安と恐怖が生まれ。

 

よく「隣の芝生は青く見える」といいますが、

まさにその通りで少し目立ったり、自分にもっていないものを備えている人が現れると

そこに強い嫉妬と、自分の居場所(存在価値)がなくなるという不安に襲われ

その人よりどうにかして目立とうと蹴飛ばしていました。

 

その感情が高校、社会人になり家庭環境だけではなく

高校生になるともっといろんな考えを持った人間が現れ、

社会人になればさらに増え、職場の環境にも影響をうける様になります。

 

だけどこれは、あくまでも反対されることに強くストレスを感じていた

自分自身の思い込みで、家族認めてくれているところは認めてくれていたし。

これが成長するうえで必要な家族からの愛情だったと思うんです。

 

この時にうまく自分の思いを言えずに、諦めて自分で自分に蓋をした僕は

ある意味反抗期を抜けれずに、未だに反抗期を引きずっているのかもしれないですね。

 

過去を引きずったままで成長

この状態で社会人になった僕は、

1年経ってやっと半人前、3年やってやっと1人前と言わるくらい難しく、

多くの人が嫌う作業の班に配属されました。

僕はその作業を半年くらいで身につけて、

1年経つ頃には古株の人たちと変わらないくらいになっていました。

どちらかというと実力主義的な雰囲気のあった特異な班だったので、

思いっきり調子に乗っていた僕がいました。

 

すると、目上の人間でも小馬鹿にしたり、見下す様に上から目線だったり。

感謝の気持ちを忘れ、何をするにも自分でやった方が早いし

それをしている自分がかっこいいと思う自分が

過去を引きずったままの自分に上書きされました。

 

すると人を信用・信頼しない、頼らないようになり。

自分が倒れそうなくらい苦しくてもその自分がかっこいいと思ってて、

その姿を見てもらうことでみんなに認めてもらえると思っていたんです。

 

本当の自分は、強く見せている自分に降ってくる出来事やストレスに耐えれるほど

強くはないし、意地を張ったり人を馬鹿にして自分を高く見せたくないんです。

 

すごく弱くて泣き虫、だけどその弱さが人一倍痛みや辛さを感じるから

相手を大切にしようとする純粋な優しさを持っているのが本当の自分。

 

その本当の自分を蔑ろにして、自分に蓋をして向き合おうとしなかった結果。

自分は病院送りに、自分に素直に向き合って愛情をくれていた周りの人には心配をかけ。

そこで自分は変われる、変わったと思っていたのに。

結局また同じこと繰り返して、自分はまた潰れる寸前まで自分で自分が見えなくなり、

周りには心配をかけ、挙げ句の果てには人を傷つけていたことに後から気付きました。

 

自分の意見は誰も受け入れてくれないという思い込みと、

人を信頼しずに、頑張っている自分がカッコ良くて認めてもらえると思っていた

プライドがこの結果に行きついてしました。

 

僕の心を軽くしたくれたのは、

「誰も得しないプライドは要らないよね」というこの言葉でした。

 

自分の思い込み、固定概念でしている行動で周りに心配をかけている、誰かを傷つけている。

自分はその思い込みで潰れそうになっている。

その自分の今の価値観・プライドって誰も得してないよね。

 

そうじゃなくて、素直な自分をだして素直な気持ちを表現して

それを受け入れてくれる人がいれば、まず自分は楽じゃない?

周りも無理をしてない姿を見れば、心配することもないと思う。

「みんなが幸せになるプライドを大切にした方がいい」

 気づいていないのは自分だけで、言わないだけで本当はみんな気づいている。

 

この言葉で自分で自分に背負わせていた荷が少し解け心が楽になりました。

 

自分はとても恵まれた環境にいる

これまでの僕に対して、素直に向き合って助けてくれていた人が

僕の周りにはたくさんいたことに気づかされました。

 

僕が病院送りにならない様に2年前からヒントやアドバイスをくれていたり、

入院中にも今までの自分から変われるようにサポートしてくれていたり。

だけど、どれも作り上げてできた自分が全て遮断していたんだと知りました。

多くの人の素直な僕への気持ちを無下にしてごめんなさいと

罪悪感に襲われたのですが、今は「ありがとう」の気持ちでいっぱいです。

 

潰れた時に、自分のことを考えてくれていた人がこんなにいたのかと

一人であとのお祭り状態です。

 

なのに、同じことを繰り返そうとしていた。

それは過去の自分が、自分と向き合うことが怖かったから。

これまで作り上げてきた、価値観、固定概念、居場所が全てなくなる。

そんな強い不安と恐怖があったから。

 

だけど、その不安や恐怖を乗り越えでも強く自分を変えようと思うほど

自分と純粋に向き合って考えてくれる相手に出会えたんです。

ですが、結果的にその相手を傷つけていました。

 

僕が自分で自分が見えなくなって、自分を見失っていた時に

相手が素直に感情を出してくれていなかったら、

僕はまた病院のベットの上にいたかもしれないし、

そうでなくてもこうやってブログを書いたりと、普通の生活をおくれなかったかもしれない。

 

傷つけてしまった相手が僕にとってとても大切な存在だと気付きました。

それに気付かさせてくれたのもその大切な存在である本人。

それと同時に自分の投影として多くの気付き、学びを常にくれています。

 

大切な存在を傷つけた過去は変わらないし消せないけど、

過去を引きずるのではなく、今の自分が相手とどうしたいか、

素直にしっかりと向き合っていくと決めた今の自分に正直に生きようと思います。

 

これまでみんな嫌われない様にと使ってきた多くのエネルギーを

これからは自分が大切にすべき人たちにエネルギーを注いで恩返しを。

 

自分と向き合うことで、相手とも純粋な心で向き合えれるようになると思う。

 

・自分を大切にできない人間は、大切な人も守れない。

・もっと素直になれば楽になる。

 

どれだけの人に耳にたこができるほど、言われていたのだろうか。

 

でもやっとそこに気づくことができた。

これも巡り合わせとタイミングの様な気がします。

 

まだまだやっと自分の積み上げた山の麓に立ち、1合目に向かおうとしている感じ。

これから乗り越えることはたくさんあるけど、

物事は自分が考えているより、とてもシンプルだった。

 

この数週間、たくさんの涙を流したし。

これからの未来を創るのは自分。

 

もう自分が潰れるのも、誰かを傷つけたり心配させるのは懲り懲り。

誰も幸せ(得)にならないプライドはゴミでちっぽけだった。

 

もし、みなさんも僕の様な思い込みや価値観で人に心配させたり、

傷つけたりしていると思ったら一度考えてみませんか。

実は自分も苦しかったり、辛かったり、誰も得しないかもしれません。

 

変わるも変わらないも自分次第。すごく大きな学びを得ました。