僕が僕であるために…

精神障害を乗り越え新たな人生を歩む20代のブログ

過去の自分を捨てることはできても、意識をしないと変わらないこと

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自分事ながら本日また1つ歳を重ねました。

嬉しい様な、もう少しでアラサーと呼ばれるのかという複雑な心境ですね。

耳にする話は体がもう…という話が多いのでそう感じるんだろうけど、

30代になれば30代を楽しめばいいと思うんですけどね(笑)

 

さて、今回は自分を見つめ直す時期が丁度、自分の誕生日の時期だったということもあって

これまでの自分とはお別れをして、新しい(本来の)自分で26歳を迎えた訳ですが。

 

これまでの自分の感情や感性は捨てることはできても、

染み付いたり、身についた感覚、習慣は意識をして書き換えて行かないと変わらない

というお話をしていきたいと思います。

 

www.zero-note.com

 

少し前に自分が自分と向き合った際の話を投稿しました。

そこから2週間くらい経って思ったこと感じたことがあります。

 

それはタイトルにあるように、

「過去の自分を捨てることはできても、意識をしないと変わらないこと」

冒頭でも感情や感覚、感性などという言葉が出てきましたが、

正直、この言葉が言いたいことのニュアンスにあっているかは難しいところですが、

今回はこれで書いて行こうと思います。

 

まず、自分と向き合ったことで「これまでの悪い自分」を捨てようと思いました。

もちろん全てが悪かったわけではないですが、今となればなぜその生き方を選んだろうと思えてきますね。

そんな自分になっていた、そう捉えたり考えになる感性、そこからくる感情を

捨てるのに時間はかかりましたが、捨てることができました。

 

すると自分でも驚くことに、自分はこんな穏やかで居られるんだ…という感覚で

いい意味で自分が自分ではない日がしばらく続きました。

もちろん、周りで助けてくれる人がいるという存在に気づけたから、

1人じゃないと分かったから穏やかなのかもしれませんね。

 

ずっと周りからもっとシンプルに考えるといいよ!

と言われていたことがすごくわかりました。

 

驚くほどシンプルで、良いも悪いもできるもできないも基準は自分なんだと。

自分の物差しと他人の物差しは違うんだと。

自分の物差しで測れないものもあし、他人の物差しで測れないものもある。

そう気付けると心が本当に楽になると思います。

 

捨てられないこともある

反対に、捨てられないものもあります。

それは過去の自分によって、染み付いた、身についた習慣・行動、感覚。

人の慣れというのは怖い物で、これは頑固な油汚れの様に落ちませんね。

 

ここは今の自分の頭の中で分かっている感覚を意識して、入れ替える作業をしないといけないんですね。

感情や感性は変わって、こうすれば良いんだよね!と分かっていてもも、

ふとした時にこれまでの習慣、行動が姿を現してきました。

 

ここ2週間で「あぁ!またや!」となることが結構ありました。

そうなっている自分に気づいて、「あ!ここは意識して変えて行かないといけない」

ということに気付きました。

気づけたと言うことは、今の自分が過去の自分の行動、習慣に違和感を覚えたとも取れますよね。

 

やっと自分が本来の姿、なりたいと思う自分の方に向かって歩き始めた気がします。

 

違和感の正体

行動、習慣、感覚の違和感の正体とは一体なにか。

・自分より他人を優先して動いてしまう。
・自分が認めらたいから、他人に過度な期待や変化を求める
・自己欲求を押しつけている。

 

大きくはこの3つですね。

 

例えば、仕事とかの面で見ると

自分の手持ちが一杯なのにも関わらず、他人の仕事を優先してしまう。

もちろん優先しないといけない時もあるけど、全てがそうではないんですよね。

 

言われたことをただやるだけの人間状態。

時間の計算とかできるけど、優先順位の組み立てができてないんですね。

ワンテンポ置いて、これは今やるべきなのか、後からやるべきなのか。

この感覚を知ってから少しづつ意識してますが、できた時は楽ですね。

 

プラスで他人に「できない」「厳しいですね」ということが言えるようになってきました。

まだ少し過去の感覚で「言って嫌われたらどうしよう…」があるので

挙動不審になりますが、「できない」「厳しいです」が言えるのは楽だと思いました。

 

嫌われたどうしよう…という人に嫌われるのが怖かった僕は、

人に好かれる為には、認められる為にはとあらゆる人に期待を寄せたり、変化を求めていたんです。

 

人に期待を寄せるのはその人からの見返りを求めていて、

自分が期待をしてることで嫌わないでね。という感情が隠れていた気がします。

変化を求めるというのは今の自分を正当化する為だったのかなと思います。

 

物事は自分中心で考えればいいと思うんですが、これは自分中心ではなくて自己中心的。

ここも言葉のイメージになってくるのですが、

例えば、自分中心で考えている人は「自分が今こうだから、それはできる。できない。」

「自分は今こうだから、こうした方がいいかな。」と考えができる人。

 

自己中心的な人は、「自分がこうだから、周りもこうしろ!」というい感じがしますよね。

 

ということは、嫌われたくない自己中心的で承認欲求の塊が過去の自分だったということですね。

 

ですが、自分の気持ちを優先するという意識、感覚を理解できるようになってきたことで、

理解されようとするのではなく、理解してくれてる人に目を向けれる様になってきました。

すると、過度な期待だったり変化を求める感情がなくなってきました。

 

期待をする相手はしっかりと見定めるのも大切だし、

変化を求めるということはその人に何かしらの「怒」を覚えている。

その「怒」の感情を覚えるモノは実は自分も持っているモノだったんです。

自分もこうだったのかと分かると、自分が変わらないといけないなと思い、

「他人に変化を求めるのではなくて、自分が変わればいいんだ。」となりました。

 

そして3つ目ですね、自己中心的で承認欲求の塊だった僕は自己欲求を押しつけていました。

 

どう言うことかと言うと、その時の自分の感情を他人の気持ちを考えずぶつける。

まさに自己中心的を象徴してますよね。

「自分は今こうなんだ!だからいいでしょ!」

自制心も何もない、相手の気持ちを尊重できないただのTrashですね。

 

その割には、自分より他人を優先するんですよね。

それは自分が嫌われたくなかったから。

 

そんな行動や習慣、感覚が違和感として今現れてきました。

 

この違和感が変わらずに戻ってなくなるのではなく、

意識して新しい行動や習慣、感覚に書き換わって消えるように自分を変化させて行こうと思います。

 

今回も自分の体験を元に話をしてきましたが、

自分がなぜそうなのかを掘り下げると、自分が見えてきます。

良いことはそのまま、継続すればいいし、ダメだなと思う部分は変えていく

キッカケになります。

 

僕のブログを読んで僕と同じように悩んでいる人や、

自分との向き合い方がわからない人のキッカケや道標になると嬉しいですね。

僕自身まだまだ自分と向き合っている途中なので、内容がぐちゃぐちゃだったり薄かったりしますが、

26歳になってありのままの僕で過ごせるようになった僕と、

ブログ「僕が僕であるため…」をこれからもどうぞよろしくお願いします。