こころを晴れ模様に

解離性運動障害と共に生きる20代のブログ

僕がなぜ解離性運動障害(解離性てんかん)になってしまったのか

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しっとりと大好きな曲を聴きながら、ブログを読みながら朝ごはんを食べたのはいつぶりだろうか…。

 

更新が遅れてしまいました。

 

BLACK FRIDAYとやらの3連休を挟み、仕事の感謝祭で遅番のため、

連日メキメキと夜遅くまで働いておりました。

 

 

ということで、カフェオレをお共に今日も更新して行きましょう!

 

 

 

今回は、初めて僕のブログを読む方も増えてきたと思うので、

なぜ、僕が解離性運動障害になったのか?を書いていこうと思います。

 

 

そもそも解離性運動障害とは?

解離性運動障害とは、簡単に言えば解離性障害ですね。

転換性障害なんて言ったりもするようです。いわゆるヒステリーと呼ばれていたものです。

 

ではその解離性障害とは一体どういうものなのか。

 

一言でいうと、自分が自分であるという感覚が失われている状態。

 

辛い時の記憶が抜け落ちたり、気づいたら知らない場所にいるなど、症状は様々。

 

 

つまりは、ある辛い体験をきっかけにその体験を自分から切り放そうと無意識に起こす防衛反応と言われています。

 

 

ということは・・・。

 

 

心身的に強いストレスを慢性的に受け続けることで、精神が防衛反応、

緊急避難的に体の機能を一部停止させることで起こるのが解離性障害というわけです。

 

 

解離性障害は様々な症状を発生させる厄介なやつ。

 

解離性障害と一言で言っても、種類は様々あります。

これは僕もなってから知ったことですが、紹介していきましょう。

 

▪️解離性健忘:心的ストレスをきっかけに出来事をの記憶をなくすもの。

▪️解離性とん走:自分が誰かわからなくなり、失踪し新たな生活を始める症状。

▪️カタレプシー:体が硬く動かなくなること。

▪️解離性昏迷:体を動かしたり、言葉をかわしたりすることができなくなる。

▪️離人症:自分が自分である感覚を障害され、自分を外から眺めている感覚になる。

▪️解離性てんかん:心理的な要因で、昏睡状態や、体が思うように動かなくなる、感覚が失われるなどの症状。

▪️解離性体重人格:複数の人物をもち、人格が交代で現れ、別人格の記憶がない場合が多く、生活上に支障をきたすことが多い。

 

 

などと、ざっくと書きましたが、この他にまだ20種近い症状があります。

 

 

この中で僕は、解離性てんかんに該当します。

 

解離性運動障害と入院の際に診断され、退院後心療内科にかかったところ

解離性てんかんと改めて診断されました。

 

 

では、解離性てんかんと診断された僕はいったいどうなったのか。

 

 

朝の目覚めと共に訪れた体への違和感

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説明は簡単!

朝目が覚めたら、体に力が入らなくなっていたのです。

 

恐怖の何ものでもないですよ。

 

力を入れようもビクともしない。

何が起こっているか全くわからないのが現状。

 

しばらくすると、腕だけはなんとか動かせることに気がつきました。

 

 

たまたま、枕元にスマホを置いて寝ていたのでスマホから自宅へ電話。

 

2階の部屋から1階のリビングへ電話です(笑

 

 

「体が動かないから、救急車を呼んで!」

 

 

そのまま早朝7時に救急車で病院に運ばれ、精密検査を受け入院も決まった12時間後。

 

この時はまだ原因不明なので、ルンバールも受けました。

 

 

ルンバールとは、髄液検査のことで、骨髄に針を刺し髄液を抜き取って検査することです。

 

これが痛いのなんの…。

 

しかも、MRIが謎の4回撮影。

 

後から聞いた話だと、必要ないと思って部位ごとで撮っていたためで。

結局、脳、胸、腰、足と4回に分けて撮ったようです。

 

 

そして1ヶ月の入院生活がと半年にわたる、療養期間の始まりなわけです。

 

 

解離性障害になった要因とは?

 

簡単に言えば仕事が大きな要因です。

というよりも仕事が原因ですね。

 

高校を卒業して、すぐ就職して4年半仕事大好きマンで働いてきましたが、

家庭の事情もあり、その時勤務地が遠かったこともあり、近くの本社への移動願を出したのですが、会社の事情もあり難しいとのこと。

 

好きだった職場をやめるのに戸惑いましたが、家庭を優先するべく転職へ。

 

 

この転職が人生を大きく狂わせることに・・・

 

転職先も決まり、新しい生活がすぐに始まりました。

職場環境も割といい雰囲気じゃないか、と思いながら使用期間の3ヶ月がすぎました。

 

 

すると…。

 

仕事にも慣れてきて、見えてくるものが多くなり、会社のいろんなところで疑問を覚えるような出来事や事が増えてきたのです。

 

 

これまでいた社員さんが一気に辞める出来事があったり、会社の運営に必要なものがなかったり、給与面の管理がガサツだったりと…。

 

 

 

どう見てもこれは…転職先をミスったと感じ始めたが、すぐに辞めるのはと思いもう少し様子を見ようと半年が経とうとした頃。

 

 

僕の直属の上司は社長だったのですが、

入社前からとても期待をしてしてくれていたのですが、この頃からその期待ゆえか、

業務内容が急に難しくなり、わからない質問をしてもしっかりと答えてもらえず放置があったり、

 

社長自身、「無茶振りするけど!」と真顔で言って「じゃもう一回どこどこへ行ってきて!」なんていう。

 

半ば、パワハラというか、パワハラと言ってもいいようなことが続きました。

 

 

すると、自分ではとても元気なつもりでいたのですが、

1ヶ月近く、周りの社員さんやパートさんから、「大丈夫?顔色悪いけど?」

 

 

ここから解離性の症状が出始めてきたのです。

 

この時は、顔色が悪いなんて、全く自分では気づいていないわけです。

 

 

むしろ、元気にしている「つもり」だったから。

 

つまり、今この辛い環境にいるのは自分ではなく、誰か別の人なんだと無意識に置き換えていたわけです。

 

 

まだこの頃は、NOが言えないYESマンだったことも拍車をかけていた気がします。

 

 

そして、そなん状況が続いたある日の朝、救急車で運ばれう自体になったわけです。

 

 

 

 

これが、僕が解離性運動障害(解離性てんかん)になったきっかけのお話です。

 

こんな企業は気をつけたほうが良いとか、ただただYESマンだった頃のお話なんかも今後ゆっくり書けたらなと思っています。

 

 

 

ということで、指先も寒さで悴んできたので、この辺で!