僕が僕であるために…

精神障害を乗り越え新たな人生を歩む20代のブログ

2年前の忘れものを見つけさせてくれた、亡き祖父への想い

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※後半より亡き祖父への想いが綴らさせていただいております。 

 

皆さん大変お久しぶりです。

気がつけば前回の更新から半年以上が経ってしまいました。

世の中はコロナウイルスによる影響で苦しい時期を迎えてしまいました。

これ以上拡大をしないように、今できる限りの我慢をしましょう。

この先にある未来のためにも。

 

さて、久々の更新となるわけですが。

私ごとながら、つい先日祖父と最期のお別れをしました。

なぜ、暗いお話を急にしたかと言いますと、

この祖父とのお別れで僕が忘れたものを見つけさせてくれたからです。

 

このブログを初めて読まれる方には、

僕がどういう人間なのかということを知っていただきたと思います。

ぜひこちらをお読みください。

 

www.zero-note.com

 

記事のタイトルにもあるように、

僕は2年前の4月にストレスがきっかけで解離性障害を患いました。

その時に家族と一つの繋がりだけを残し全てを断ち切りました。

 

ソウルメイトという言葉を知っていますか?

知っている方は急にスピリチュアルな話を、と思うかもしれません。

ソウルメイトというのは、輪廻転生を繰り返すなかで

助け合ったり同じ目的を達成する約束をしている人のことをいいます。

ソウルメイトにもいろんな種類があり、

浅い繋がりからとても深い繋がりまでといろんな魂の繋がりがあります。

 

ではなぜ、僕がこんな話をしたかといいますと。

僕自身、「共感覚」というものを持っています。

この共感覚という言葉を耳にした方は多いのではないでしょうか。

共感覚は人によって異なるのですが、

僕の場合は人に色を感じるというものです。

 

2年前にスピリチュアルカウンセラーの方との出会いがありました。

この出会いが僕の世界感を大きく変えました。

それは何かを解放したかのように世界の見え方が変わりました。

その時、共感覚ではなくスピリチュアルに近いのではないかと思いました。

 

どこかその世界の見え方が懐かしかったからです。

小さい頃に人を見ると「この人は自分にとってこういう人だ。」

と思っていたからです。つまりソウルメイトですね。

ですがその頃はまだその言葉を知りません。

 

しかし物心が着きしばらくして、

人から読み取れる情報が多いことに疲弊するようになりました。

なので、それを見ないように見ないようにと自分に言い聞かせていました。

その状態で大半を生きつづけました、そしてカウンセラーとの出会い。

本来の自分が解放されたようで、とても心が楽になりました。

しかしそれは同時に自分の周りを取り巻く環境にも気づくのです。

 

エナジーヴァンパイアという存在 

また新しい言葉が出てきましたね。

「エナジーヴァンパイア」これは人のエネルギーを吸い取ってしまう人のことです。

言葉のまんまですね。エネルギーの吸血鬼です。

これに属する人が自分の周りに数多くいることに気付きました。

もちろん本人は無自覚ですしそんなことは知りません。

しかし、その吸い取ったエネルギーを自分のものにし

自らを向上させるのがこのタイプの特徴と言われています。

 

僕が倒れた原因はもちろん社会的なストレスもありました。

ですが、自らが持っているエネルギーも吸われていたところに裏の原因があったのです。

そして、それに気づかせてくれたカウンセラーとも繋がりを絶ち、

冒頭に書いた通り、家族と一つの繋がり(ソウルメイト)だけを残しました。

 

全ての繋がりを絶っても、絶てない繋がりある

この時、全てをリセットしたかったんです。

自らを押さえ込んでしまったその時からの環境を。

当然ですが家族とは繋がりを絶つことはできません。

そして自分を魂のレベルで支えてくれる存在、これも絶てないのです。

 

ソウルメイトにも種類があるといいました。

僕がこの時に出逢っていたのはツインソウル(双子の魂)と言われる存在です。

これはソウルメイトの中でも3番に深い魂の繋がりと言われています。

1人対して12人いるとも言われています。

小学生の頃に出逢い、今もまだ繋がっている唯一の存在です。

僕が倒れた時も社会に復帰する時も、いかなる時もこの存在に助けられました。

おそらく、あのタイミングで繋がりを絶っていたら今の僕はいないでしょう。

というくらいのお話です。なんか不思議ですよね。

 

今度は自分を見失ってしまう

さて少し話を戻しましょう。

僕は2年前(つまり繋がりを絶った時です)、解離性障害を患ったと言いました。

これによって僕の精神状態は極めて不安定になりました。

最終的には抗うつ剤を服用するまでいきました。

今思えば、その時は自分であって自分ではないという不思議な感覚でしたね。

つまり、自分を見失ってしまったわけです。

 

そして本来の自分を解放したのに、再び封じ込めてしまうことになりました。

ここから2年、回復を目指して療養、社会復帰へのリハビリ、

そして社会復帰へとなんとか辿り着きました。

その間に新しい出逢いもたくさんありました。

元に戻ってきたと思っていたところに、祖父とのお別れがありました。

 

※ここから亡き祖父への想いを綴らさせていただいております。

亡き祖父がくれた、最期の薬 

それはあまりにも唐突で、あっという間のことでした。

頑固ものでいじっぱりいの祖父が胸が苦しいと言った次の日、

祖父が救急車で病院に運ばれたのです。

さらにその翌日、

「体調が急変しました!今夜が峠かもしれません」という病院からの電話。

ですがなんとか安定しほっと一安心。

それも束の間、祖父が苦しいと訴えてから丁度1週間。

仕事中の僕の携帯に家から一本の電話です。

「血圧が落ちてかなり危ないみたい!すぐに病院に向かって!」だったのです。

頑張って乗り切って!せめて僕らが着くまでは!と祈る反面、

僕はこれが生きている祖父との最期だと思いました。

 

それは、この前日の夜に急に祖父のことを考えて一人号泣したのです。

僕は昔から自分と深い繋がりのある人が亡くなる時は決まって

「虫の知らせ」のようなことがあるんです。

その翌日は朝からソワソワしてて心が落ち着かなかったのです。

そこに一本の電話、そしてこの内容です。

 

そして、僕は一番に祖父のもとに着きました。

血圧は低いがまだ体は暖かく、「持ち直してよね!」という祈りながらも

祖父を見て触れて、涙が止まりませんでした。

そこに少し遅れて祖母がきました。

さらに遅れて、父と叔母もかけつけ家族が揃いました。

祖父は血圧が低いながらにもそれをキープし続け皆んなを待っていました。

ですがコロナウイルスの影響でこんな時でも、面会に制限が設けられ

家族の待合室で待つことになりました。

 

家族が揃ってから1時間くらいが経ったとき、

皆んなで「今回もなんとか持ちこたえるんじゃないか?」という話になり

父は作業服のため、一度家に着替えに行くということで席を外し、

叔母もお昼を買いに売店に行ってくるということで席を外しました。

 

そして2人が席を外した直後、

看護師が待合室にきて「危ないです!すぐにきてください!」と呼ばれました。

ひとまず祖母を先に向かわせ、僕は父と叔母に電話をしてから病室に向かいました。

すると、先までしっかり脈を打っていた波形が微かに動いている状態でした。

遅れて父と叔母も病室へ、そして祖父は帰らぬ人となってしまいました。

 

祖父が入院してから、あっという間のお別れ。

それと同時に、祖父は僕がしっかりと自分を生きれるように薬をくれた気がします。

2年前に全てを捨てた時、一緒に忘れてきた本当の自分。

 

もちろんこの2年間の出来事、出逢いというのは自らが選択し進んだ時間、道です。

それもまた勉強をするための寄り道。

この先の未来のための大切な時間だったんだと思います。

 

祖父への想い…

祖父は頑固ものでいじっぱりだったので、大きくなってからは

無意識に距離を置くようになっていました。

しかし、遺影の写真を選ぶ際に沢山のアルバムを見ました。

そこには祖父と笑顔で映る幼い自分が数えきれないくらい沢山あったのです。

生まれたすぐ父子家庭となった僕は、

父が仕事の為、祖父母に子のように育ててもらいました。

祖父にいろんなところへ遊びにつれいてもらっては

祖母に写真を撮ってもらってたのです。

 

そんなことも忘れ、大きくなるにつれて少し距離を置くように。

写真を見て忘れていた記憶が蘇り、多くの後悔やこみ上げてくる感情が抑えきれず

しばらく涙が止まりませんでした。

 

そして僕が祖父に今できることは、祖父が見つけさせてくれた

「本来の自分」を見失わないようにしっかりと生きていく、

その姿を見せることだと思います。

生前の祖父、仏様となる祖父に送る言葉は

ごめんね、そしてありがとう

のこの一言です。

 

シンプルで誰もが知っているけど、実はしっかりと言葉にできない一言だと思います。

 

幼い頃の記憶、そして2年前の病気・環境からしっかり自分を取り戻せた気がします。

僕は今、再び自分を自分としてしっかりと歩み始めた実感があります。

 

 

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。